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この街は彼が燃やした 小姓町遊郭の焼失

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この街は彼が燃やした 小姓町遊郭の焼失 (aky-0007)

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渡辺 大輔 著
体裁:B6版 / 179貢
送料・梱包料込

私はね、この謎を解くのは君だと思っているんだ。

その放火事件は明治27年5月26日に起きた。
遊郭はなぜ炎に包まれなければならなかったのか。

『キャバレーに花束を』の著者による第2作!

初版限定特典『キャバレーに花束を』未収録!
キャバレー「ソシュウ」の元ナンバーワンホステスへ新たに取材を行いました。
こちらの新作話を、『この街は彼が燃やした』の初版分限定として封入いたします。

↓無料試し読み

日が出たら出発しよう。
山形市を抜けて、明日中には新庄市に着きたい。
昨晩までの君はそう考えていたはずなのに、二日酔いを自分への言い訳にして、まだ布団に残るおしろいと石鹸の匂いにまどろんでいた。
すっかり身仕舞を終えた若竹が、枕元に座って昼食を勧めてきたが、君は喉仏に引っ掛かったような返事でそれを断る。同時に吹いた風に障子が揺れて、君の声はかき消された。だが若竹は表情を見て察したのだろう。一つうなずいてから、ほほ笑みで君をいたわった。
眠りから呼び戻されたのも、朝に吹いた風のせいだった。そんなことを思い出して少し腹を立てる。憎んでも仕方のない相手とわかってはいたが、盗人の隠れた場所を探すように、君はしばらく耳を澄ました。しかし風はひととき勢いを弱め、代わりに聞こえてきたのは、往来の足音と客引きの女の声だった。
ああ、昼見世が始まったのだ。
君は昨晩の若竹との出会いを思い出す。格子窓の向こうに並んだ遊女たちの、一番奥に若竹は佇んでいた。ややこけたその白い頬が、君の憂いを誘った。哀れんだわけではない。旅の道中に浮かんだ、己の行く末への漠然とした不安が、彼女の姿と同調したのだ。

立ち上がろうとした若竹を、今度は一つ咳払いをしてから呼び止める。今夜もここに泊まることを告げると、彼女は深々と頭を下げた。
昨年末にこの金嶺楼で起きた首くくり事件は、すっかり客足を遠のかせたそうだ。昨晩、若竹から聞いたその話に、君は手厚い歓待を受けた理由を知る。連泊を決めたのは、それに気を良くしたわけでも、ほだされたわけでもない。若竹の口から語られた、ある事件が君の好奇心をかき立てていたのだ。
明治22年7月。今から5年ほど前の出来事だ。
東京築地の川の中で、男の死体が見つかった。擦りむきや打ち傷、殴打の跡が全身にあり、頭には二寸の穴。何ともむごたらしい死骸だ。およそ30歳から40歳と推測されるものの、事件の手掛かりと呼べるようなものはほとんど残っていない。
彼がなぜ、どこで、どのように殺されたのか。それを解明するために、ふたりの探偵が推理合戦を繰り広げる。そして、ある重要な証拠が見つかった。

そこまでだ。
そこまで話して、昨夜の彼女は寝入ってしまったのだ。

君は若竹に生まれを尋ねる。この山形にいて、なぜ東京のそのような事件を知っているのか。君はあちらから出てきた人間なのかと。
若竹は首を横に振り、昨日は隠していたことがあると君に詫びた。実は昨夜の話は創作なのだと。黒岩涙香という作家の『無惨 』。日本人が書いた初めての探偵小説と言われているらしい。
感嘆した。このような博識の遊女がいたこと。本を開かずに物語を誦んずる勤勉さ。
君がそれを口にすると、彼女は右手を頬に当て、障子の向こうを眺めるようにして打ち明けた。
以前、東京からやって来た客がいたこと。彼が、持ってきた本を読み聞かせてくれたこと。その真似事をしているうちに、自分も暗誦できるようになってしまったこと。
その語り口はまるで、もうこの世にはいない人間を憧憬するようだった。君は言い知れぬ嫉妬心を感じ、話題を変えようとする。
そうだ。先ほどは胸にしまったことを尋ねてみよう。
若竹。その『無惨』だが、昨夜は先が気になるところまで話して眠りに落ちてしまったようだが、もしやそれは……。

その時だ。

半鐘が鳴った。いや、乱れ打ちと言うのが正しいだろうか。身がすくむほど、鐘は激しく打ち鳴らされる。
火事か。とっさに君の口からこぼれた。
楼主から指示が出され、君たち客は「牛太郎」と呼ばれる楼の若い衆に、女たちは遊女の監督役の「遣り手」に先導されて、それぞれ避難を始める。昼間だったのがまだ幸いだった。夜の遊郭で同じことが起これば、逃げる最中に多数の怪我人が出たことだろう。
蝋燭に火が付いたらしい。後方から、そんな声が聞こえてきた。
楼を出て空を見回すと、確かに煙が上がっている。後ろから聞こえる男の声を頼れば、火元は南西に隣接した「蝋燭町」だという。
急に舞い上がった砂埃に、君は目を閉じる。また風にやられた。だが、もう腹を立てている場合ではない。この風が、じきに炎を運んでくるのだ。

「大門」と呼ばれる石門をくぐれば、これまで先導してきた牛太郎は、君たちの見送り役に変わる。さあ、火の手が近づいてくるぞ。北へ走る者。南へ走る者。血相を変えて西へ走る者は、よほど大事なものを取りにゆくのか。
君はどちらへ逃げる? 先ほどの砂埃は北からやって来た。風下に向かうのは危険だ
ろう。そう判断して、北に向かって一歩を踏み出した。
その時、何者かに肩がぶつかった。男だった。着衣は薄汚れ、放心したような顔をしている。この様子では家を焼け出されたのだろう。蝋燭町の住人か。彼は逃げ惑う人々をただ眺めるようにして立っていた。
早く逃げるよう、彼に声を掛ける。すぐにここにも火がやって来るぞ。
だが、彼はほうけた表情のまま、君に顔を向けるだけだ。
語気を強めてもう一度言った。
しかし彼は足を動かさない。ただ、口をパクパクと開け閉めしただけだ。そこで君は察する。彼は言葉を話すことができない。こちらの言葉も通じない。
どうする。君は彼の肩を二度たたき、それから北への道を指差した。そしてもう一度、怒鳴るように言った。

駄目だった。彼は大門の方へ向き直り、そこをくぐる避難者にぼんやりとした視線を送り続ける。
西の方を振り向けば、勢いを増した煙の中から蛇の舌先のような火がのぞく。彼の手を引くか。それでも動かなければ背中に担ぐか。
再び砂埃が舞い、その中に熱気を感じ取った時、君はひとりで北へと走りだした。途中で何度か振り返ったのは、罪悪感を拭うためか。彼の姿はそのたびに小さくなり、君のやましさはそのたびに大きくなった。
このまま山形を出て新庄へ向かおう。
そう心に決めて、君は振り返るのをやめた。

明治27年5月26日。
午後1時15分頃に起きた山形市蝋燭町を火元としたこの火事は、10時間以上も燃え続けて2906棟の家屋や小屋を焼き落とした。死者は15名。
当然、小姓町遊郭は全焼した。

なあ、君。
そうだ。彼だよ。
大門で出会った、言葉を持たない彼。
この街は彼が燃やしたんだ。

(続く)