18・迷子郵便のこと

 放送された後に何件かガリ版に関する情報が寄せられましたが、中でも忘れられない物語がありました。というのも、放送後しばらくたったある日、山形市内の中央郵便局に勤めている人から突然電話がありました。「山形謄写印刷資料館をやっていなかったか?」
というのです。たまたま仕事の打ち合わせで郵便局に行った時に展示会や鑑定団の話などしたことがあった人でしたので覚えていてくれたのでしょう。すぐに「やっている」と答えました。すると差出人の名前だけで住所も書いていなく、宛先は「山形市・山形謄写印刷資料館」だけの迷子郵便があるというのです。早速郵便局に出向きました。すると昭和24年の教則本(著名な浅野一郎氏製版の初等教本です。)と自作の作品数点と丁寧な文面の手紙でした。本来であれば差出人・受取人がはっきりしない迷子郵便は中央郵便局に3ヶ月保管の後に焼却されるのだそうです。中央郵便局の迷子郵便担当がたまたま縁のあった人であったために、貴重な資料が灰にならずにすんだのでした。その日「与野」の消印と「西脇隆治」の名前を手がかりに104で探したところ、浦和市に西脇隆治さんが存在する事がわかり電話しました。するとその送り主本人であり、5月に載った読売新聞の記事を見て送ろうと思い、鑑定団の放送を見て思い出して送ったということでした。ただこちらの住所は「山形市・山形謄写印刷資料館」しかわからずかつまた自分の住所を書くのをわすれてしまったとのことです。丁寧なお礼状とお礼に「奥の細道絵巻」をお送りしましたところ、こちらが逆に恐縮するくらいのお礼の手紙をいただきました。材料や作品を頂いた方にはお礼に「奥の細道絵巻」をお送りしているのですが、珍しいからか、また内容も綺麗だからでしょう。かなり喜んでいただいており、逆にこちらが恐縮してしまうくらいのお礼状を頂戴する場合が多いのです。
 その他には72歳の方から、「母親が使っていた印刷機だ」ということで古い印刷機を送っていただいたのが一番古いもので、それは台が石で本体上部が取り外し自由になっている機械で、おそらく戦前もかなり古いものではないかと思われます。