17・鑑定団放送される

 本当のところ9年の文翔館での第2回ガリ版展は当初は行う予定はありませんでした。しかしながら、佐藤 慶さんとお会いした時に「展示会をする」と勢いで言って約束したこともあり7月から具体的な行動に入りました。佐藤 慶さんとは寄贈資料を中心とした展示会を行い、単に個人のコレクションだけにしないで公開するということと、ガリ版の本を作ることと2つ約束しました。展示会は行ったのですが、本の方はなかなか纏める時間と文才が無い為になかなか出来ずにいます。来年までは発行したいと思っております。
 展示会についてのノウハウは8年にいろいろと試行錯誤しながら経験したことがあり、文翔館の予約や、官公庁の後援・報道機関への告知等はすべて8年に行ったことと同じことを踏襲しました。実績があるためすべて順調で時間はあまりかからなかったのです。ただ8年と違うことは「鑑定団」の取材があって8―9月に放映になることをPRしたことぐらいです。
 「鑑定団」の放送は当初は7月23日に東京で放送の予定であったのですが、延びて8月12日の放送となりました。東京では8月12日なのですが、テレビ東京系列の放送局が山形に無いため山形での放送は約1ヶ月遅れます。いろいろと問い合わせ等があっても見てみないことには答えようにもないし、また楽しみにしていたこともあって8月12日の放送のテープを送ってくれるように放送局と交渉しましたが、全く放送していない地域以外は出来ないということでしたので、仕方なく諦め首都圏に在住する友達や業者の方何人かに「鑑定団の8月12日放送分に出演する」と言ってビデオ録画をお願いしました。すると、8月14-20日の間に来るわ来るわ合計7本のテープが送られて来ました。また、この番組はかなりの高視聴率番組で12日の夜何人かの人から「出ていた」とか「懐かしかった」とか「元気そうでなにより」とか電話がありました。中には大学の時の友人で卒業以来会ったことがなく、それこそ十何ぶりに声を聞いた人もいて妙な懐かしさや嬉しさでこの時ほど番組に出演して嬉しかったことはありませんでした。14日になって初めて本番のテープを見ましたが、編集のうまさを感じたのと同時に時間的な制約もあったのでしょう前述した芝居の全面カットや収録時間の割には出演時間が少ない事など残念なこともありました。特にガリ版の魅力と聞かれた時、「手作業・人間による作業の素晴らしさであり、特に美術印刷は素晴らしいです。」的なことを言ったのですが前半はカットされ美術印刷の素晴らしさだけが放送され、肝腎の人間による手作業の素晴らしさという一番強調しなければならないことがカットされたのは返す返すも残念なことでした。番組の流れの上ではそれを受けて草間京平さんの紹介、「幻の逸品・花咲く言葉」の紹介というようにきれいな形でまとまっているのですが、欲求不満が残ったことも確かです。
 この欲求不満を解消する機会がそのあとすぐに巡って来ました。それは9月6日に放送になる前に事前にPRしたいということで、地元放送局が取材に来たのです。人気番組「鑑定団」がわざわざ取材に来て取り上げる、というのは山形県内ではあまり無いことなのでしょう、急に話がまとまりました。この取材が急で8月27日に収録、その日に放送ということでレポーターの男性とカメラマンと2人がやってきました。そして収録は時間あまりで終了しました。「鑑定団」の収録ではかなり大掛かりであったため私も時間的に余裕を持って当たろうと思い、構えておりましたので拍子抜けしたことも確かです。その収録は鑑定団とは大きく違い30分ほどの打ち合わせのあとにすぐリハーサル、そのあとすぐに本番ということで、本番もすべて1回でOKということで、鑑定団放送以来たまっていた鬱憤をはらすように手作業の素晴らしさやガリ版の魅力等等いろいろと話をしました。
 以外と放送時間が長くて思ったことの大部分が放送されていたのには感動的でした。収録時間・編集時間がよほどなかったのでしょう。放送された番組を見たら時たまトチっていましたが、それも地方独自番組ならではのご愛嬌でしょう。
 地元制作番組と鑑定団放送のあとお客様から「見たよ」と声をかけていただいたことがかなりありました。また、いろいろなパーティ等で全く知らない初対面の人から「この前テレビに出ていた人ですか?」と随分聞かれたものです。わけても「鑑定団」は山形でもかなりの人気番組で、初めて会った人に自己紹介する時の話題材料にはもってこいであり収録時のエピソードを話しはじめると、すぐに相手とうちとけることができました。