20日の打ち合わせの時に急に23日に本番収録の話が出たため準備が大変でした。前から21-22日に新潟に出張の話があったため21-22日は全く準備が出来ず、20日も本多さんを駅までお送りした後に十日町の資料館分館に出向いて番組に出す機材類を
選定・4階から搬出して会社に持ち運びました。岳風会会館が閉まるまでの時間の無い中で一人の作業であったので大変でした。
23日朝、21-22日は全く準備をしていなかったため朝6時に会社に着き、それから準備です。分館から持ってきた機材類を分類、見栄えする機材や作品を部屋に飾り、出演材料を検討したりしました。取材スタッフは朝9時に着くことがわかっていたので、3時間もあれば十分だろうと思ったのが大間違い。3時間くらいはあっと言う間に過ぎ、準備があらかた終了したのは9時ギリギリでした。テレビの収録がある程度時間がかかるのはいろいろな経験でわかっていましたが、15時間にもわたるものになろうとは夢にも思わなかったのです。
9時前にスタッフの方たちが到着しました。本多さんとレポータの女優、カメラ2人助手1人の合計5人の陣容です。内容的にはレポータの女優が会社内の「ガリ版資料館」に入って私にインタビューし最後に「幻の逸品」をお願いするというものですが、最初レポーターが会社に入ってきた時、私が「こんにちは」と言います。この「こんにちは」だけでも7-8回リハーサルをやり、本番でも私が緊張するは慣れないはで 、取り直しがあり10回くらいやりました。その後にコレクションの説明を行いインタビューを受けます。前もって台本などは全くないために10回インタビューされると私の方はその都度発言が違います。それに比べ卵とはいえさすがは女優、レポーターとして出演した杉本うららさんは最初も10回目も全く同じことが言えるのです。最初に紹介された時に一般の人とは違う雰囲気はあるなと思いましたが、終始圧倒されどうしでした。天気が良かったこともありますが、お世辞にも広いとはいえない社長室でカメラのライトにずっと照らされると大汗をかきます。冷房をつけると冷房の音が入るということで冷房を切って、窓を締め切った蒸し風呂のような中で何回もとちりながら収録は続きました。撮影助手の若い人が大きな板を持って来て正面であおぎながら収録したり、うまくいかなかった時には私が勝手に「NG・NG」と言ったりして撮影スタッフにはだいぶ迷惑をかけたのではと思います。
機材にしても今までに出演したどんな番組よりも大掛かりであり、予想していた何倍も時間がかかりました。一流の番組の制作はこうも違うのかと思ったりもしました。一番困ったことは、連続何分かのインタビューの最後にさしかかりようやく「うまくいった」と思っていた時に急に電話の鳴る音がして最初からやり直しとなったり、うまくいって電話もなく進むと車や電車の大きな音がしたりで、体中汗まみれになりながらも、本番の放送では1分くらいの放映となったインタビューを収録するのに午前中いっぱいかかったのです。ただ私の方は終始緊張しっぱなしでおまけに大汗かいているのに、女優の杉本さんは落ち着いており汗一つかかずに私がいくらとちってもイヤな顔一つせずに何回も同じことをやってくれるのには驚きでした。
午前中の収録が終わり、やれやれという時、急にディレクターから「杉本さんにガリ版の実演をやらせたい。」という話が出ました。慣れている人でも実演は大変難しいですしガリ版のガも知らない女の子に実演させるのはどうかとも思いましたが、何はともあれガリ版の原理を教えて実演してもらうことにしました。原紙切りから始めるわけですが、全く経験したことがない人には面白いのでしょう。杉本さんも「面白い、面白い」を連発しインクを練ったり印刷機械を用意したりは私が行い、収録本番に臨みました。私が杉本さんに教えるバージョンと、杉本さんが一人で印刷するバージョンと2種類収録し、最終的には杉本さんが一人で印刷し出来上がりを見せるという内容に放送されたようです。このわずか20秒くらいの為に3時間くらいかかりましたが、インタビューの頃から比べ、私も落ち着いてきて、楽しい時間を過ごせました。
杉本さんが夕方のつばさで東京に帰らなければならないということで、ガリ版実演の後に今度は二人で短い芝居をやってくれと頼まれました。内容は杉本さんが謄写美術印刷の前で水彩画や油絵を想像しているところへ私が「ちがうんだなーっ、ガリ版印刷なんだなーっ」と言うところから始まる1分ほどのコント劇で、台本も何もない全くのアドリブです。これも10回近くリハーサルを行った後に本番も4-5回取り直してようやくOKたなったものです。インタビューと違い、素人の私は最初のうちは自然にアドリブが出るのですが、何回の重ねるうちに段々と力が入ってきて次第に緊張してきます。ましてカメラが回るとよけいに緊張度が増します。それに比べ杉本さんは1回目も10何回目も全く同じであり、ここでも改めて感心させられました。ただ、放送時間の都合からかそれともあまりに私の演技が臭くて下手だったからか全くカットされて放映されなかったのは返す返すも残念なことでした。芝居の収録が終わり、出演する場面が全部終了した時は夜の6時を回っていました。そして、それから作品等の品物の撮影が始まり(スタッフは物撮りと言っていました。)全部終了したのは12時近くであり、撮影スタッフが帰ったあとに部屋の片づけをして最終的に帰宅したのは真夜中の2時過ぎでした。
こうして長い長い一日が終わったのでした。さすがに疲労困憊でしたが、快い満足感はありました。
「幻の逸品」コーナーで10000円で全国に探していますと呼びかけたのは、理想科学工業(株)の社内報「理想の詩」に7年7月号に掲載になった、昭和25年正十字社発行、植本コユウ作植本浩嗣(のち十一と改名、日軽連・東軽工の会長もつとめた)草間京平製版の謄写印刷童話絵本「花咲く言葉」です。この現物は8年にガリ版愛好者を訪問した時に一度見たもので、その文字の美しさや色の綺麗さは謄写印刷の頂点ともいうべきもので、番組でもレギュラーに出ている北原照久氏が「かなりむずかしいだろう。」言っていました.いろいろな情報はありましたが、決定的なものはなく、今も探しています。全国読者でお持ちの方がいましたら、大切にしますので是非お譲りいただければと思っております。放送後10000円はあまりにも安すぎるのではといろいろな人に言われましたが、どうしても手放したくない人だったら10万円でも譲らないでしょうし、ガリ版文化保存運動に共感していただける人でしたら値段に関係なしで譲っていただけるのではと思ったからです。