15・忘れられない思い出

テレビ東京の「開運、なんでも鑑定団」への出演は、途中父の入院もあって思い出深いものとなりました。この番組は出場者がスタジオに「お宝」を持って来てレギュラー解答者が真贋・値段等を鑑定するコーナーと、ある地域で鑑定大会を行う「出張鑑定」のコーナーと、おたく的コレクターが登場して自分のコレクションを紹介した後に探しているものをいくらで買いたいと視聴者によびかける「幻の逸品」コーナーとに、大きくは分かれます。そのうち出演の依頼のあったのが「幻の逸品」コーナーでした。
5月初旬より前述した鈴木健二さんが中心となって、鈴木さんの地元である上山市で、「ガリ版展」を開催しました。その最中であったため、最初に朝9時に上山駅で本多さんという番組のディレクターと待ち合わせした後、会場の殖産銀行上山支店を案内、主に戦前チラシを中心に説明していました。この時大変な騒ぎになっているとは夢にも思わなかったのです。

銀行を出て、山形市内に向かっている途中、急に電話が鳴りました。「父が交通事故にあった。」というのです。その後、5分おきくらいに「救急で運ばれた」「意識が全くない」「すぐ済生館(山形市立病院)に来てくれ」というように悪い話になってきました。人間不思議なものでこういった場合覚悟ができるものです。この時は次の電話が来たら死亡の連絡かと内心覚悟を決めました。そして「社葬はどうしようか」といったことを考えたりしました。ただ横に本多さんが乗っていて最初の連絡の時には平静を装っていましたが何回も電話が来て、その都度今までは明るく話をしていた私がだまってしまったので、わかったのでしょう「何かあったのですか」と言ってくれました。最後の電話が来た時には流石に正直なところを言いました。本多さんも驚いて、とりあえず今日のところはこれで東京に帰る。またしばらくたってから残りのコレクションは見に来るということで山形駅までお送りし、その後すぐに病院に向かいました。父はその日朝車を運転して出勤の途中に脳内出血で意識がなくなり、前の車に追突しそれから病院にはこばれたのでした。数時間意識がなかったのですが、幸いにも戻り約1ヶ月の入院の後に少しの後遺症は残りましたが、現在は元気でおります。ただ、ガリ版に対する情熱は全くなくなり、それ以降は私が全面的に行うようになりました。「鑑定団」もその日の午後に父が本多さんに説明し本番も父が出演と考えていましたが、それも全部私がすることにしました。もっとも佐藤 慶さんのことにしても、9年になってからは私が全面的に活動を行っていて父からはむしろ「あんまりのめりこむな。」と言われたくらいでしたから、大きな支障はなかったのですが、上山の展示会の段取り等私が忙しい時は行ってもらったりしましたので、その後全くあてに出来ないということは大変でした。
しばらくして、本多さんから6月20日にもう一度打ち会わせという予定でどうかという話が来て、父の具合も良く、日程的に空いていたので了承しました。ただ、予想以上に父の具合が良く急に6月20日に退院ということが決まり、今さら延期するわけもいかず退院は家族にまかせ、20日に5月28日に見せられなかったところを本多さんにお見せし打ち合わせを行いました。この時23日に本番収録という話が急に出て、結果的には最初の打ち合わせの時に父が入院し、最後の打ち合わせの時に退院するという一生忘れられない思い出となりました。