14・読売新聞、そして「鑑定団」

東京から帰って2-3日して、込山さんという読売新聞の記者から突然電話がありました。込山氏は、8年10月の文翔館での展示会の取材にこられた記者で「何か新しい動きありませんか。」との問いに佐藤 慶さんのこと、秋にできれば展示会をやりたい等言ったところ「他紙には絶対にだまっていてください」ということですぐに飛んで来ました。
そして、その何日か後で山形県版でかなり大きく掲載になりました。「首都圏版にも」ということで小さなスペースでしたが夕刊に掲載になり、同時に全国版のインターネットに載りました。支局でももっと大きくと要望していたらしいのですが、残念なことでした。ただ、文化的な記事(非事件)で首都圏版に紹介されるということは年にそう多くなく、山形支局では「大スクープ」だったそうです。インターネットにも一日載ったこともありその日から数日は「持っているが、お譲りしたい」という話がいくつもあり、中にはある幼稚園で原紙の未使用品3600枚送るというものや「自分の作品お送りします」という人もかなりいました。東京の新田さんという人から、「自分のかつての仲間」ということで、何人も紹介していただき、それらの方々からの寄贈品は素晴らしいものが多かったでした。北海道に坂本さんという方がおられて「北海孔友」の中心だった人から「北海孔友」についての資料をいくつかいただいたのですが、2-3年前に北海孔友の事務局を閉じた時にバックナンバーやさまざまな資料を捨てたらしく、もっと早く始めていればと改めて思いました。また、今集めて残さなければ現在残っているものの素晴らしいものの大部分が今後ますます廃棄されていくことでしょう。

読売の全国版に載った数日後「開運、何でも鑑定団」(以下「鑑定団」と略します。)の制作スタッフの方から突然電話がありました。「番組で使えれば紹介したいので、一度コレクションを拝見したい」とのこと。「鑑定団」はここ3年くらいずっと楽しみに見ていたこともあり、2つ返事でOKしました。たまたま殖産銀行上山支店で3回目の「ガリ版展」をやっている最中であり、上山駅で制作スタッフの方と待ち合わせして銀行での展示会を見せて、それから十日町の資料館・会社の資料館を案内してという日程としました。そして、それは5月28日に行うことに予定することになりました。