12・ひょうたんから駒

10月の展示会の後、山形銀行十日町支店ロビーにて、2回目の展示会を行いました。十日町支店は岳風会ビルからも近く、メインバンクであったため、前々から話がありました。11月18日から12月13日までの間、銀行という性格上土日は休みであり時間も9時から3時までという制約があったにもかかわらず、かなりの評判でした。その間、地元の代理店の「創立50周年展示会」を機に山形に来ていた理想科学工業の方が3名見えられました。その中の一人が山崎さんというゲステットナーの日本での販売をやっていた方で、所蔵してある手動輪転機を見せたところ、「間違いなく戦前のものである」とのことでした。そして日本に何台もない逸品とのこと。この手動輪転機は今も立派に動き、少し手を入れると印刷も可能です。これは、山形市内で元々印刷業を営んでいたという人からもらい受けたもので「頼むから引き取ってくれ」ということで、重たい思いをして運んだものです。山崎氏はゲステットナーの生き字引みのような人で、電動機(360型)についてもボタンの色が黄・赤・青の3原色となっており、そのデザインが当時の最先端のもので注目されたことなど、いろいろと知ることができました。360型は全国にも結構残っているようで、当資料館にも3台あります。ただ、残念なことに3台とも動きそうにもありません。
9年になって、日本グラフィックサービス工業会の「会員通信欄」に「ガリ版資料を集めています、ご寄贈下さい」という文章を載せました。この時点ではあのように広がるとは夢にも思わなかったのでした。さっそく全国の同業者から「思い出の品」がいくつも送られて来ました。その中には、岡山県の友野康夫さんの作品や素晴らしいものが数多くありましたが、静岡県の大石さんという方からある新聞記事が同封されてきました。というのは、映画監督の大島 渚さんのガリ版についての文章であり、「私が助監督の頃は、台本にしてもほとんどがガリ版でした。知人の中では、俳優の佐藤 慶さんが名人であり、彼の字は機械的で美しい」といった内容でした。そこで、知人から佐藤 慶さんの住所を聞き、だめでもともとと思い今までの活動とガリ版に対する思いを書き「保存運動をやっているので、ぜひ思い入れのあるものがあったら、寄贈下さい」という内容で手紙を書いたのでした。3月24日のことでした。その時点では、返事をいただくことも大きくは期待しませんでした。何しろ、全くお会いしたこともなかったわけですから。はたして開いて読んでくれるだろうかと思いました。それから半月ほどたってほとんどあきらめかけていた時、自筆の、丁寧な内容のご返事をいただいたのでした。それには、「ガリ版で、下積みの頃生計をたてており、その頃に作った印刷物や機材類は何回か引っ越ししたにもかかわらず、捨てられずにしまっていて、その処分を考えていた。4月は23日か24日なら午後空いているので、是非お会いしたい。」という内容でした。私はその手紙を見て、思わず手が震え、体が熱くなってくるのを感じました。そして4月23日の午後にお伺いすることにしました。初めてご自宅に電話した時には、緊張で手に大汗かく思いでした。