11・マスコミ報道について

6章でマスコミ報道についてふれましたが、会期中と、その後のものまで含めて合計23回新聞・雑誌・テレビ・ラジオ等で取り上げられました。その一覧を示しますと、
1.新聞(9回)
・ 96年8月25日(日)山形新聞朝刊17面「姿消すガリ版後世に」
・ 96年9月2日(月)読売新聞朝刊28面「手作業の味わい」伝承
・ 96年9月6日(金)朝日新聞朝刊27面「ガリ版文化に魅せられて」
・ 96年10月1日(火)山形新聞朝刊17面「10月のこよみ」
・ 96年10月17日(木)読売新聞朝刊29面「ガリ版資料1000点展示」
・ 96年10月18日(金)毎日新聞朝刊24面「貴重なガリ版資料展」
・ 96年10月25日(金)産経新聞朝刊23面「手作りの味わい・ガリ版」
・ 96年10月23日新やまがた第1014・1015合併号1面
・ 96年12月25日(水)産経新聞朝刊21面「ぴーぷる・後藤卓也氏」

2.雑誌・業界誌(8回)
・ 96年6月25日プリテックステージニュース第1181号19面
・ 96年9月25日プリテックステージニュース第1190号7面
・ 96年9月発行月刊プリテックステージ24ページ
・ 96年11月25日プリテックステージニュース第1196号5面
・ 96年12月発行月刊プリテックステージ30-32ページ
・ 96年12月発行理想科学工業(株)月刊誌「理想の詩」13ページ
・ 96年12月発行日本青年会議所月刊誌「50億」42ページ
・ 97年1月発行月刊グラフィックサービス46ページ

3.テレビ(5回)
・ 96年10月7日放送NHK山形放送局「この人・山形謄写資料館 
        館長、後藤義樹」(午後6時30分―7時00分)
・ 96年10月13日放送YBCニュース(午前11時30分-45分)
・ 96年10月15日放送YTSニュース(午前11時30分-45分)
・ 96年10月15日放送TYSニュース(午後6時00分-30分)
・ 96年10月25日放送YBCピヨ卵ワイド(午後4時57分-5時57分)

4.ラジオ(1回) 
・ 96年10月7日放送YBCラジオ(午前8時30分-8時57分)
会期前の新聞取材については前述いたしましたので、ラジオとテレビ出演について少し述べさせていただきますと、YBCラジオへの出演は10月7日(月)で唯一の生番組への出演となりました。朝の「モーニングワイド」という番組に出てくれということで前もって電話で担当者と打ち合わせをしてはいたのですが、生番組への出演は初めてであり流石に緊張します。8時50分から55分の出演ということで35分ぐらいにYBCの中継車が会社へ着きました。レポーターの女性2人で来られたのですが、10分程打ち合わせをした後いよいよ本番です。一人はインタビューをして一人は大きな時計をもってあと何秒とかとサインを出します。放送局のレポーターの方は流石に慣れたもので、一秒の長短もなく終わるのには驚いたのと同時に凄いものだと感心させられました。その時には何を言ったのかなどほとんど覚えていません。後で録音したテープを聞いてみると、はずかしいやらうれしいやらで複雑な気持ちでした。その日午後2時にNHKに出演ということで、父と私で展示物を持って、放送局に行きました。その日の6時30分から放送する5分くらいの番組で「この人」というシリーズで何か面白いことをやっている人をとりあげる内容のもので、父が出演するか私が出演するかということが最初に話になりました。やはり年相応ということでアンウンサーと打ち合わせした結果父が出演することになりました。わずか5分間の収録でしたが、4-5回取り直し最終的にNHKを出たのは4時を回っておりました。以前私と家族が県で企画している番組に出演したことがあります。この時には4分位の放送収録に丸半日かかったことがありました。この記憶があったので以外と早く終わったという感じでした。父が出演している間私は、ディレクターの方とずっとモニターを見て父の言ったことで間違いがあれば指摘するという役目で、一度間違いを指摘して取り直しになった時にはディレクターにでもなった気分で楽しいひとときでした。逆に父は随分と緊張していたようでさぞかし疲れたのではと思います。NHKの夕方のニュースは時間的にも皆見る時間なのか、随分たくさんの人たちから「見たよ」という反響がありました。その他にもマスコミ報道に関してはいろんな経験をしましたが、後程「なんでも鑑定団」出演等についてふれたいと思っております。ただ、マスコミの方々からは、好意的でかつ積極的に取り上げていただきやりがいがあったのと同時に感謝いたしております。