9.いよいよ初日を迎える

10月12日、いよいよ初日を迎えました。朝、会社に顔を出したあと、文翔館に向かいました。やはり初日はとりわけ緊張します。「来客が一人もいなかったらどうしよう」などと考えてしまいます。以前文翔館事務局の担当者と打合せした時、だいたいの期間中の入場予定者数を書く欄があって、土曜・日曜で150人15~18日で150人の300人を予定と書きました。その時、担当者は、文翔館一周年でいろいろと考えているので、12日(土)~19日(土)なら、文翔館全体で3,000人を見学予定にしているとのことです。全体で3,000人なら、半分来てもいい様にと、期間中配布するパンフレットを1,500部印刷したのでした。来場者数の把握の方法は、パンフレットを来場者に一部ずつ配布し、その減り方で把握するというやり方にしました。そして、期間中は遠方からの来訪者の送り迎えは私が行い、昼の時間1時間は私が交代するのですが、それ以外は、9時半すぎから4時前ぐらいまでの時間、父が来客の接待と監視を行うこととしました。ただし、後半は私の母親も受付の手伝いに来るようになり、13日の日曜日は親子3人で、14日(月)は休館日でしたので15日(火)より18日(金)までは、常時2名体制で、会場に常駐するようになったのでした。
ここで、今回例外的に展示した「タイガー計算機」についてふれてみましょう。これは、昭和30~40年代に、主に役所で使っていたもので、手回しの計算機です。9月に新聞を見たある人が、「面白いものを持っている」ということで、会社に持ってこられたものです。それは県庁で、昭和30年代に使われて廃棄する時にあまりに思い入れがある為、ゴミとして処分されるのをもらって来たものだそうです。展示会はあくまでも「謄写印刷」ですので「タイプも展示したい」意向であった父と、大反対の私がずっとそれに関しては対立したのですが、結局はタイプとそれに関するものは展示しないというように決めました。ところが、この「タイガー計算機」については父も私も、例外的に展示しようと意見が一致し、唯一非謄写関係資料として会場に展示したのでした。最初のうちは、計算機自体も動くもので、土曜日、日曜日と来場者に自由にさわらせていたのですが、あまりにたくさんの人がさわったからか、それとも、全くの素人の人がムリムリ動かしたからなのか、日曜日の午前中にこわれて動かなくなってしまい、たまたま日曜日の午後に、提供してくれた人が来場され、いろいろと直しを試みたのですが、結局はこわれたままで、動かなくなってしまいました。幸いにもタイガー計算機を直せる唯一の方が市内に健在で、修理を依頼した後所有者にお返しいたしました。