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 文翔館での展示会の決定東京から帰ったあとしばらくは、小針氏や、玉田さんから丁載した作品を見せながら収集品の拡大につとめました。
その頃は、「○○にガリ版の機材がある」と聞くと、わざわざ出向いて行き、丁寧にお礼を言い、もらって来たものです。これも最後になるとあまりに機材が集まり過ぎ「会社に持って来て下さい。」というようになりました。それでも所有者は、「粗大ゴミ」の処理に頭をいためているのでしょう。かなりの方が、わざわざ会社の所在地を調べて持って来てくれるのです。
謄写印刷機の方は、重くないし、あまり大きくない為良いのですが、謄写輪転機となると大きいし、重さが半ぱでありません。何台も持ち込まれるのには正直のところ閉口しましたが、何十年もたつとこれも貴重になるに違いありません。

 7月も後半になると、「資料館」の構想について、具体的な話が出て来るようになってきました。私もその段階においては「資料館」については、オープンした後にいくつかの問題が出て来ることに気がつきました。
当初は「資料館」は山形市十日町岳風会会館の一室に置き、希望者に公開する。そして年に1~2回岳風会会館の2Fか3Fで、一般公開する。という予定でした。岳風会会館は、鉄筋4階建てのビルで昭和60年まで中央印刷株式会社の本社ビルであり(土地建物は、父の個人所有)今、全館貸している状況です。そして、その中の4Fは、全く使っていなく、そこを「資料館にする」ことは決まっていましたが、2Fか3Fで展示会をする場合、

  1. 岳風会の詩吟の道場になっている為、道場を使う日は展示できない。
  2. 人数によっては岳風会事務局に多大な迷惑がかかる。
  3. 駐車場スペースがまわりにほとんどない。
  4. 見に来る人が、3Fまで急な階段を登らなければならない。

などさまざまな問題がありました。そして7月末の段階では、岳風会会館4Fを「資料館」(収蔵庫)とすることとし、展示会は、どこか公的機関を借りて行おうということにいたしました。

そこで浮上したのが、「文翔館を借りれないか」ということだったのです。山形県文翔館は、昭和50年まで山形県庁として使われていた建物で、大正5年の完成の代表的な大正建築であり、国指定重要文化財に指定されているものです。そして、文化的なイベントには低額で貸し出しされています。たまたま7月7日に、山形青年会議所(以下JCと略する)のイベントが文翔館で行われました。その時の実行委員会に私が入っており、「文翔館でやれれば」という急な思いつきが出て来たわけです。思ったら即実行、さっそく文翔館事務局に行きました。

 文翔館事務局に行った時、小針氏の作品やいろいろなものを持ち込んで説明したところ、担当の方も興味を示してくれて、10月の開館1周年の時に、第5ギャラリーでという話になってきたのです。ただし、10月8日から19日までしかあいていないということで、さっそく仮予約、8月2日に10月11日搬入、12日~19日午前中展示会、19日の午後に搬出という、正式な申込書を提出したのでした。

こうなってくると、今までのように、いつやるのかわからないのと違い具体的目標が出て来ました。あと2ヵ月しかないのですが、時間的には中にお盆も入り、実質1ヵ月少ししかないということを気がついたのは、8月も後半になってからのことでした。