3.小針さん、玉田さんとの出会い

 こうしているうちに、6月後半になります。毎年7月上旬は、東京グラフィックスフェアがあり、毎年上京するのですが、この年も7月5~6日に上京することになりました。
そこで、「ガリ版文化を歩く」にのっていた「東京都荒川区不二プリント商会の玉田武子さん」という記述のみを手がかりに104で電話番号を調べ、電話しました。だめでもともとと思いガリ版資料館についての趣旨を話し、7月5日に訪問したい旨を言うと、いきなりの電話にもかかわらず玉田さんは快諾してくれました。
そしてもう1つ、寄贈された作品(年賀状)に記載されてあった電話番号を、これもだめもとと思い作者(小針美男さん)に電話しました。何しろその年賀状は10年以上前のもので、仮に本人が存命でなくとも家族の人から話が聞ければと思いました。すると本人が出られて、玉田武子さんの時と同様に、資料館の趣旨を言うと7月5日の訪問を快諾してもらいました。

 小針美男氏のことはいろいろと聞いていました。この時はまだ小針氏がずっと長い間「昭和堂月報」を作っていた大名人であったことは知る由もありませんでした。ショーワ(昭和謄写堂)とはずっと会社では取引していましたが、現在のショーワがガリ版の代表的な会社であったということは、「ガリ版文化を歩く」を読むまでは、知らなかったのです。